小説執筆日記

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12月22日

物語を物語る その2 舞台について

 お待たせいたしましたと言う人も、別に待ってないよという人もこんばんは。活火山です

 今回は前回のここの更新から始まった、物語を物語る第二週目となります。お付き合いのほどお願いいたします。

 前回私は、物語の必須項目である三つの要素について語りました。

 今回はその中の1つ、舞台装置について語ってみようと思います。

 物語を作る際には必ず舞台が必要になります。

 それが異世界ファンタジーものである場合でも、現代日本を舞台にした場合でも、今よりずっと科学技術が進歩したSF世界を描く際にも必ず必要になってきます。

 さて、ここを読んでおられる方はすでにいくつもの漫画やアニメ、ゲームの世界に親しんでこられた方だと思いますので、それを前提にして話を進めていきます。

 異世界ファンタジーもの。つまり中世ヨーロッパ風の世界を舞台にした剣と魔法の世界。これらはただ単に中世ヨーロッパの世界を描いたものである。と言われたら皆さんは納得するでしょうか?

 言い方を変えると異世界ファンタジーの世界観=中世ヨーロッパの世界だ。と言う風に考えてしまっている方はいるでしょうか?

 もちろんその答えはNOです。

 本当の中世ヨーロッパには剣はあっても魔法は存在しませんし、ドラゴンも妖精も小人も存在しません。

 当たり前ですよね。現代にいないものが当時からいたら、歴史の教科書辺りで取り上げられていることでしょう。

 現代の娯楽文化というのは中々厄介なもので、この辺りを混同している人がいてもおかしくないのではないかと私は思うのです。

 あくまで異世界ファンタジーの舞台は、中世ヨーロッパの世界であり、決して中世ヨーロッパそのものではないのです。

 この辺りをはっきり理解していないと作品を作るうえでとんでもないことになります。

 史実を忠実に再現しようとして失敗してしまうこともあると思います。

 史実どおりの中世ヨーロッパには、まず魔法は存在しませんし、女性用の下着だって開発されていない時代だって存在しますし、主食はパンとスープで、ご飯なんて単語は出てこなくて……。

 とこんなことをいちいち考えながら作品を作ろうとしたら悲惨なことになるでしょう。

 あくまで異世界ファンタジーの世界というのは創作であり、リアルとは別物と捕らえて作るべきでしょう。

 各キャラクターの出身地、生活様式、結婚できるのは何歳から……などといった設定はあくまで自分で作るべきものなのです。

 さて、ここで異世界ファンタジーものにありがちな、魔法の存在について少々語ってみましょう。

 皆さんは次のような設定をリアルと感じるでしょうか?

 その世界では誰もが魔法を使うことが出来ます。

 その中には回復魔法と言う類も存在します。

 その回復魔法はほんの数日の修行で身につけることができ、致死量のダメージを肉体に負っても回復できると言う万能な回復魔法です。

 そんな便利なものが存在したら、この世界に医者と言う職業は不要になることでしょう。

 それどころか、その回復魔法があまりにも万能すぎて、アクションバトルを書こうとしている作品では緊張感を喪失することにさえなりかねないでしょう。

 私の作品にいまだに回復魔法が登場しないのは、誰でも使えるような簡単な魔法ではないと設定しているからであり、バトルを描く上で攻撃を受けることによるリスクや危機感を煽るためだったりするのです。

 ここまでで私が言いたいのは、「魔法と言えども、万能にするな」と言うことです。

 ある1つの設定があまりにも万能すぎると、その瞬間から作品全体が薄っぺらいものになってしまうのです。

 これは、ライトノベル創作教室と言う書籍にも書かれていることで、いかに舞台をリアルに見せるかと言う課題が難しいものであるかを端的に示した一例だと私は思っています。

 次に現代日本を舞台にした場合を考えてみましょう。

 近年ではラブコメものが氾濫と言えるほどに増えているためひょっとしたら異世界ファンタジーものよりこちらのほうになじみがある人の方が多いのではないでしょうか?

 同時に現代日本を舞台にした作品の場合、舞台の設定をいちいち作る必要がないから楽なのではないかと考えている人はいないでしょうか?

 もちろんこれもNOです。

 現代日本が舞台だから設定が楽と言うのは、とても安易な考え方なのです。

 私は基本的にラブコメや日常的なものを書くのが苦手な傾向にあるようなので(何が得意なのかは自分で作ってみないとわからないものがあります)、これについて語れることは少ないと思いますが、頑張って語ってみようと思います。

 現代日本を舞台に作品を作る場合は、異世界ファンタジーの世界観を作るのと同じくらいの下調べが必要になります。

 例えば雪が降らない地方でジャンジャン雪が降るような内容を書こうとしているなら、舞台そのものを変えないといけないし、舞台となる町に存在する文化や特色といったものは、長い年月をかけて作られ、培われてきたものであります。

 素人でも最低限、「今何月だから●●の季節」みたいなことくらいは考えるでしょう。

 しかし、考えるべきことは他にもたくさんあります。

 その舞台はアスファルトやコンクリートがじゅうたんのように敷き詰められて、電車は何分に一回くらいの割合でやってくるのか? とかそういった部分まで考える必要があります。

 関東の人間が北海道を舞台にした内容を書こうとしたらそれこそ取材が必要になるでしょう。

 関東と北海道では基本的に寒さが違うし、主に使う移動手段、電車の料金、バスの重要性、海の冷たさなど、違うことがあまりにも多すぎます。

 北海道の人間がホワイトクリスマスで喜んでいたり、海水浴を楽しんでいたら、それこそ北海道の人間が読んだ場合「この作者北海道のこと何もわかってねぇな」と言われかねません。

 北海道の冬は常に雪が降るためホワイトクリスマスなんか何も珍しくありませんし、海は冷たくて海水浴なんかとても楽しめるようなところではないからです。もちろん砂浜だってやけどするぐらい熱くなることなんてありえません。

 また、北海道の人間がみんな揃って「鳥のから揚げ」と言う言葉を使うこともないでしょう。

 北海道では「鳥のから揚げ」を「ザンギ」と言う言葉を使って表現するからです。  だから、現代日本を舞台にした内容を書いたほうが楽なんて安易な考えで舞台を作ろうとしてはいけないのです。

 実際ヤングジャンプで連載している「ノノノノ」と言う作品の作者はわざわざ北海道に取材に出かけて作品の品質を高めるように努力されています。

 とあるゲームでは関東から北海道に転属になった主人公が、関東と北海道の寒さの違いに震えているシーンがあり、しっかりその違いを明確に分けて作品を作っています。

 なので、現代を舞台にした作品を作るなら、自分が住んでいる地域や文化、その特色などをモデルにして作るべきでしょう。

 仮に私が沖縄を舞台にした作品を作ろうとしたら、舞台公証の時点で破綻することは眼に見えています。

 沖縄と関東での食生活の違いやケンタッキーの需要の差についても調べることが必要になります(沖縄は日本一ケンタッキーフライドチキンの需要が高いのです。理由は割愛)。  このように舞台を作ると言うのは創作ではあるものの、入念な下調べと、時間をかけて矛盾がないようにリアリティを追及する作業なのです。

 とベラベラと語ってきましたが、舞台とはこういうものなのだと私は思います。ご意見、ご感想がありましたら、掲示板にどうぞ!    次回は物語の必須要素、キャラクターについて語ってみたいと思います。

 では!

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